2007年12月02日
●和倉温泉の歴史
和倉温泉の歴史は、時代を遡ることおよそ1200年、大同年間の温泉湧出にはじまります。
当初、和倉温泉は薬師嶽の西、円山の湯の谷に湧き出し、その後、地殻の変動により沖合60メートルの海中に湧き口が移動したと伝えられます。
それから、時代を経た永承年間、和倉に暮らしていた漁師夫婦が、湯気立つ海で白鷺が身を癒しているのを見て、“湯の湧き出づる浦”涌浦(わくら)が発見されました。
慶長16年(1611年)、加賀藩二代藩主前田利長が腫物で困った折、涌浦の湯を取り寄せ治療したことから和倉の湯の評判が高まります。
そこで、湯治の湯として利用しやすいように寛永18年(1641年)、加賀藩三代藩主前田利常は、町奉行石黒覚左衛門に湯口の整備と周囲を埋め立て、湯島とする工事を命じました。湯島には、石囲いの湯壷が造られ、湯を貯める湯桶が並び、茅葺きのあばら屋を建て蔽いとしたそうです。
これ以降、涌浦には多くの湯治客が訪れるようになり、“涌浦涌浦と家なら七つ、島に湯が出にゃ誰行こや”と半農半漁の七軒の家しかないのに繁盛する涌浦を唄った里歌が、流行りました。
以降、加賀藩の統制を受けつつ、延宝2年(1674年)、涌浦は書き文字を間違えやすい事から、加賀藩の命により今日の“和倉”と名を改めています。
その後、湯島の埋め立てが進み、橋も架けられ、承応3年に(宿方稼)が許されるにつれ、大きな湯座屋や外湯として休憩する鉱泉宿や内湯宿などが建てられました。
幕末には、評判が評判を呼び、遠く京都の公家や大阪の豪商、絵師や俳人なども訪れ、湯治客が増えるに従い和倉の名はさらに轟くようになりました。
時が流れ、明治4年の廃藩置県の際、村人などの尽力により和倉村の湯権は官地ではなく、村の共有地として認められました。
明治12年から13年にかけて、湯島までの埋め立てが進み、ついに陸続きとなりました。また、その年には、ドイツで開催された万国鉱泉博覧会で和倉の温泉が三等賞を受賞。世に名声を博しました。
和倉温泉の歴史 最終更新日:2007.12.02
- by 日帰り温泉
- at 14:40